北海道 網走 「博物館 網走監獄」見所たくさん、昔と今の刑務所、無料ツアー参加
最終日、午後からは「博物館 網走監獄」観光です。明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開している野外博物館です。
アクセス
網走駅から車で7分、徒歩40分、女満別空港から車で20分です。
網走バスターミナルから定期観光バスが出ているようです。
館内マップ & 無料ツアー
園内、かなり広いです。
無料ガイドツアーに参加することにしました。
ツアーは、1日3回、10:00,11:30,14:30で、所要時間50分です。
観光客の方、皆さん、この時間を目安で来られているようで、ツアーの参加者は、30人くらいになりました。
テキパキとしたガイドさんで、説明も面白く、わかりやすかったです。ツアー参加、お勧めです。
鏡橋 から 庁舎へ
駐車場から最初に、網走川にかかる鏡橋です。
「川面に我が身を映し、襟を正し、心の赤をぬぐいおとす目的で岸を渡るように」と、「鏡橋」と呼ばれるようになった橋を渡ります。
入り口です。ここで入場料の支払いです。10%の割引券がサイトにあります。
正門です。見覚えのある門です。映画かな。
重要文化財の庁舎です。
展示品の他に、喫茶やショップもあります。無料ツアーの集合場所にもなっています。
無料ツアー
庁舎(重要文化財) ー 釧路監獄署時代の入り口 ー 教誨堂(重要文化財) ー 独立型独居房、煉瓦造り独房 ー 浴場 ー 宿舎及び中央見張所(重要文化財) ー 野菜収穫 ー 監獄歴史館
の順で、まわります。
釧路監獄署時代の入り口
網走刑務所は最初「網走囚徒外役所」と呼ばれていました。
教誨堂
この建物は教誨事業の行われた講堂で、教誨とは収容者対して行う精神的、倫理的、宗教的な強化指導のことである。僧侶や牧師さんが受刑者に人の道を説き、更生へと導くように尽くした場所でもある。
受刑者たちが精魂込めて建てたと語られています。屋根飾りの細工が細かかったです。
広い講堂に、当時の受刑者の方が書かれた絵が展示されていました。
受刑者の方達が使用されていた楽器です。
独立型独居房
板張りの小屋で、灯りもほとんど入らず、受刑者は、寒さに耐え忍んだそうです。雑居房が重視されるようになってから、だんだんと使われなくなったそうです。
煉瓦造り独居房
規則違反者を収容した窓のない真っ暗な小屋です。食事も減らして、反省させるという厳しい罰則だったそうです。
浴場
お風呂は、受刑者の楽しみな時間、看守の号令のもと、脱衣に3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分というように、脱衣から着衣まで15分間で効率よく入浴をしていたそうです。
舎房及び中央見張所
木造平屋建て、中央見張所を中心に、放射状に建つ5つの舎房からなっています。
ひとつひとつの舎房に沢山の部屋があり、中央の見晴所から見通せるような構造になっています。
複数人数が収監されていた雑居房です。角には、トイレです... 見えてしまいます...
こちらは、独居房、こちらのトイレは、下の方は、見えないですね。
部屋と廊下のしきりは、斜め格子になっていました。
斜め格子
第1舎、第3舎房室の廊下側壁は、暖房、換気、通気。監視を兼ねた独特の菱形斜め格子となっており、収容者どうしは、向かい合う部屋の中を覗くことが出来ないが、廊下に立つ看守からは、両方の部屋の監視ができるようになっている。
脱獄王
屋根には、明治の脱獄王、西川寅吉のマネキンがありました。西川寅吉は、毎日の食事に出される味噌汁で、手錠と降りの鉄を錆びさせて、拘束を解き、脱獄したそうです。
何度かの脱獄の後、良い看守に出会い、模範囚となり、仮出所し、最後は息子に引き取られ、87歳でその生涯を終えたそうです。
受刑者の仕事
受刑者は、いろいろな作業に携わっていました。
模範囚は、野外で、農業に従事したり、
封筒貼りをしたりと、いろいろな作業に従事していました。
明治の時代、ロシアの脅威から北海道の開拓を急ぎ行わなければならず、受刑者が道路工事の作業にも携わったそうです。
1200人もの受刑者が送り込まれ、険しい地形と熊や寒さとの戦い、何人もの受刑者や監視員が犠牲になったそうです。
監獄歴史館
その過酷な道路工事作業の様子が、監獄歴史館に、映像展示されています。上映時間7分の「赭い囚徒の森」体感シアターです。
歴史館には、現在の刑務所の模様も展示されています。写真は、現在の独居房と食事です。
他にも、いろいろな見所があります。水門、 味噌醤油蔵、哨舎、高見張り等々、今回は、無料ツアーで回ったところだけを、ご紹介でした。
この後、東京へ、女満別空港に移動です。